10年前の今日
1996年10月31日(木曜日)は、私の青春の1ページが焼けて無くなってしまった日。
当時は横浜の会社に出向中で、当日は出張で浜松に来ていたところに連絡があり、その足で京都に向かった。東山近衛交差点でタクシーを降りると火事場の焦げ臭いにおいがまだ漂っていて、BOXに着くなり声を出して泣いてしまったのを覚えている。
押入れを探したら当日の京都新聞夕刊が出てきたので、抜粋しながら引用する。
「31日午前4時15分ごろ、京都市左京区吉田近衛町の京都大学構内のクラブボックスから出荷、京都大交響楽団と舞踏研究会が入っている木造平屋建て約280平方メートルの同ボックスを全焼した。…」
「同交響楽団の部屋には、ピアノ、コントラバスなどの楽器や楽譜が置いてあったが、すべて焼失。舞踏研究会の部屋で仮眠していた同会員の男子学生(19)は東側の窓から逃げ出し無事で、けが人はなかった。」
「…同署の調べでは、出火当時、交響楽団の部室は施錠されていたが、クラブボックスの玄関と舞踏研究会の部室のカギは開いていたという。」
焼失してから2~3年は、BOXの中で練習したりしている夢を良く見たが、最近はほとんど見なくなった。
あれからもう10年も経ってしまった。10年しか経っていないと言うべきか。最近は1年が過ぎるのが速すぎて恐い。
本日は「命日」につき暗くてごめんなさい。
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